レールマウンテンバイクで温故知新の旅
2025.02.12
田口由加子(たぐち・ゆかこ)さん
「レールマウンテンバイク Gattan Go!!(ガッタンゴー)」を運営するNPO法人神岡・まちづくりネットワーク事務局を担当。レールマウンテンバイクの開業には立ち上げから専属スタッフとして携わる。

マウンテンバイクで大自然に囲まれた線路を駆け抜ける
両脇のレールに取り付けられたマウンテンバイクにまたがり、敷かれたレールのまま漕いでいきます。レールのつなぎ目で体にダイレクトに伝わる振動。目の前に現れたトンネルに飛び込むと、暗闇とひんやりした空気に包まれ、天井からは地下水がしたたり落ちてきます。急に視界が開けたと思うと、眼下にはエメラルドグリーンの清流と白い岩々の渓谷が広がる橋の上。四季によって移ろいを変える広葉樹の山々に囲まれながら、前から吹く風を肌で受け止めます。

飛騨市神岡町は、鉱山の開発によって明治から昭和の間に目覚ましく発展しました。ひしめき合うように民家や商店が立ち並んで賑わいを見せ、花街もできました。時代の変遷とともにその栄華は徐々に静まりますが、今も異様に増築された家屋が高原川沿いにたたずみ、遊郭跡「深山邸」も当時のままの姿を残しています。一方、ノーベル賞を受賞したニュートリノの観測装置「スーパーカミオカンデ」では、最先端の宇宙科学研究が着々と進んでいるという、過去と未来が混在する、そんなカオスは不思議な町、それが神岡ですよ(笑)。

廃線が決まってから、線路のある日常を残したいと有志たちが試行錯誤してできたんです。有志の一人は、自身がサイパン旅行で体験した線路上を走るサイクリングツアーを再現できないかと考えました。賛同した地元の鉄工所が、マウンテンバイクを安全に線路と固定する器具を、試行錯誤して制作しました。

神鉄には伝説があるんですよ。1981年(昭和56年)の豪雪災害(通称56豪雪)で、町をつなぐ国道41号線が1ヶ月近く封鎖した。山深い飛騨地域の多くの町は閉ざされたけど、神鉄(当時は国鉄神岡線)はトンネルが多かったおかげで動き続け、生活も産業も止まらなかった。当時働き盛りだった地元の青年たちは、神岡鉄道への誇りと感謝が強かったんです。

ガッタンゴーは手作りならではの進化を続けてきました。まだSNSもないころ、自転車で線路を走る、という奇想天外さが注目を集め、以来全国から多くの問い合わせがあって、 「赤ちゃんは乗れますか?」「ペットと乗りたい!」「車椅子ですが乗れますか?」「家族みんなで一緒に走りたい!」なお。その要望に全て応えたい!というところから幅広いお客様に楽しんでいただける今のスタイルになりました。